【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《植村直己》 =029=

2017-09-30 06:10:44 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠

◇◆ 現地から届いた手紙 =4/6= ◇◆

 コツビューに到着をもって、植村直己の北極圏一万二千キロに及ぶ単独犬橇旅行が終了した・・・・・・さて、ここに紹介する最初の手紙は、75年2月26日、チューレ基地で投函されたものである。 この大冒険行の最初の苦闘がまざまざと報告されている。

《2月26日 / チューレ基地にたちよりました。基地にて、2月1日より書き始めた日記とフィルムを送ります。
 1月24日 ウパナビック  /   2月11日 ゴットソア  /   20日 サビシビッ  /  26日 ドンデシ(アメリカ基地)
どうにか無事チューレ地区に犬橇をつけました。


ゴットソア~サビシビックの450kmの無人地帯メルビルベイでは10日費しました。出発に当り、12頭の犬、6頭のアザラシ約500kgばかり積んで出発。前半、悪天に視界きかず磁石と地図をたよりに航行。中間にきたときカナダよりに海氷を沖合いに出すぎて、新氷に出てしまい、橇と犬を海水におとしてしまい、私はどうにか海水からまぬがれることができ、濡らすことがありませんでしたが、装備とカメラなど濡らしてしまいました。

幸い、トランクの中に入れていたカメラが水からのがれました。橇にはアザラシ3頭積んでおり、重要も300kg近くあったものの、トランクの浮力でそりは沈むことなく、犬を氷の上に上げた後、犬のたづなを引き上げて、そりを引き上げることができました。


白熊の新しい足跡を見つけるも、狩をする余裕なく一路サビシビックに悪天にも続行し、10日間で無事サビシビック入りすることができました。
ゴットソア~サビシビック間、厳しかったものの、サビシビックで厚い村人の歓迎を受け総てを忘れ、再び新しい次の旅へついております。

これからの予定は、 2月28日(ドンデシ(アメリカの基地)出発、チューレに向かう。)  3月2日(チューレ(カナック)入り。
約10日~15日間滞在。オヒョー釣りなどをやり犬のエサを求めます。)

(筆者注:植村は、チューレ基地といったりドンデシと呼んだり、チューレ[カナック]と表記していたりする。チューレは古くからの呼称だが、指示する地域の範囲が広いのでこのように分かりにくい表記になったのだろう。)

3月15日(シオラパルク、約10日滞在。犬が調子悪く、もし回復しない場合全部新しく犬をとりかえる予定。)  3月末(グレイスフィヨルド入り。この後は北に予定通りルートをとるか、変更して南にルートをとって沿岸ぞいにアラスカへ向けるかわかりません。)  5月(犬と氷の状態により、更に更に犬橇を続行。)  6月(犬橇STOP。)

① お金ですが、現在手持400ドルに減してしまいました。  これから基地でデンマークの金にchangeします。 これから約1カ月間チューレ(カナック)、シオラパルク滞在する予定ですが、このグリーンランド滞在中のお金が少したりません。

出来れば犬をとりかえることと、橇を更に大型にしたいと思っており、カナダへの準備、1000$ばかりカナックに送って頂きたい。シオラパルク~グレイスフィヨルドも、危険とみなしたとき、途中までエスキモーを同行させることも考えておりますので、雇用する金なども少しは必要になるかも知れません。宜しくお願い致します。

=補講・資料=

メスナーだけじゃない!! すごい海外のアルピニスト=ティム・マッカートニー=スネイプ

1956年にオーストラリア人の父とアイルランド人の母の間に、アフリカはタンガニーニで生まれたオーストラリア人登山家。78年からヒマラヤに登り始め、84年にはエベレストを北壁から無酸素登頂に成功、86年にはガッシャブルムⅣ峰北西稜を初登頂という実績を積む。 エベレスト北壁無酸素登頂は世界のアルピニストを震撼させ、以降 登山家として世界にその名を示し続ける。 

その彼が、同行していたカメラマンの一言をきっかけに、新たな冒険に挑戦するのです。その一言とは? 「ティム、君を含めて、まだ誰もエベレストをまともに登った者はいない。」 そして彼は、海抜0mのガンジス河口からエベレスト山頂に向かう旅「from Sea to Summit」に出たのです。 困難なバリエーションルートを初登攀しヒマラヤ鉄の時代に輝かしい足跡を記した彼を、何より有名なのは1990年に行われた、海抜0mからの徒歩によるエベレスト登頂プロジェクトだろう。 登頂を果たした彼は直ちに『エベレストへの長い道』を発表、冒険家としても注目を浴びる。

後に彼はアウトドアブランドを立ち上げ大成功するが、そのブランドこそ現在株式会社キャラバンが輸入代理店を務める「Sea to Summit」である。

エベレスト北壁 グレート(ノートン)クーロワール 初登頂
アマ・ダブラム北稜 初登
アンナプルナⅡ峰 南支稜 初登
ガッシャーブルムⅣ峰 第二登(北西稜初登)

動画資料:=The Call of Everest | Nat Geo Live =クリック➡

 https://youtu.be/megSEXmV0nQ

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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前節へ移行 : http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/d9e1d33e39e2f0fe870d3af1a536c918

後節へ移行 : http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/c96bfd61095b735a74d336a3cc871c5a

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【壺公夢想;如水総覧】 :http://thubokou.wordpress.com

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【疑心暗鬼;如水創作】 :http://bogoda.jugem.jp/

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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